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「津軽と南部」ってどんなところ?

津軽と南部 移住
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一口に青森と言っても、「津軽と南部」には全く別の国と言ってもいいくらい別々の文化が根付いています。

実は文化だけでなく、産業や気候まで異なるんです。

なぜそこまで差異があるのか、ちょっとまとめてみました!

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「津軽と南部」の境界線『藩境塚』

青森県の中央を縦断する奥羽山脈を境目に、西を津軽地方東を南部地方として、全く異なる文化が根強く残っています。

津軽と南部の境目にある平内町(津軽)と野辺地町(南部)は隣町であるにも関わらず、訛りも津軽弁と南部弁できっちり分かれているという徹底ぶり。

藩境塚

平内と野辺地の境目となる海辺には、藩境塚(はんきょうづか)と呼ばれる史跡が残っています。

江戸時代に、津軽領と南部領の境界線として設置された土盛りの名残です。

●藩境塚
〒039-3131 青森県上北郡野辺地町字野辺地1‐3
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00002833.html

「津軽と南部」の歴史

弘前にある津軽為信の銅像

「津軽と南部」の始まりは約450年前まで遡ります。

もともと青森全域を治めていたのは南部家(盛岡藩・八戸藩)でしたが、初代弘前藩主として有名な津軽為信が次第に勢力を広げ、「津軽」が誕生しました。

また、津軽為信は当時、押せ押せドンドンだった豊臣秀吉に支援を行い、豊臣秀吉とは義兄弟と言われるような仲だったとか。

南部より格下だったはずの津軽でしたが、時代の節目節目で有利に動いたことで次第に力を付け、藩の規模を示す「石高」で南部を追い越してしまいました。


そんな中、教科書にも出てくる「戊辰戦争」で、津軽と南部の関係を決定付ける事件が起こります。


新政府軍に対抗する勢力として、当初、津軽も南部も同じ同盟に所属していました。

しかし、津軽は途中で同盟を抜けて新政府軍へ付き、新政府軍に命じられ、なんと南部を攻撃してしまいます。

これが、今でも残る「津軽と南部」の関係につながっているようです。


しかも、途中で同盟を抜けた津軽は褒められ、南部は処分を受けるという真反対な待遇だったそうなので、当時の亀裂は相当なものだったのでしょう。。

野辺地戦争戦死者の墓所
〒039-3172 青森県上北郡野辺地町字鳥井平36
https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/kensiseki_15.html


余談ですが、津軽西部の五所川原には「羽柴誠三秀吉」という名前で政治家、実業家として活躍したプチ有名人がいます。

いまは閉館されていますが、「秀吉のやかた」という温泉旅館を経営し、1泊100万の天守閣など、あの戦国大名を彷彿とさせる建物が残されています。

どちらも火事で全焼してしまいましたが、国会議事堂や平等院鳳凰堂のような形状をした建物だったそうです。

天守閣はまだ残っているとか。。

●小田川温泉ホテル 秀吉のやかた(閉館)
〒037-0204 青森県五所川原市金木町嘉瀬端山崎267−567

津軽弁と南部弁

青森の方言には大きく分けて「津軽弁」と「南部弁」に大別されます。

その名の通り、津軽地方で使われるのが津軽弁、南部地方で使われるのが南部弁で、イントネーションや語尾、使われる単語にかなり違いが出ます。


地元の宝とも言うべき方言は、若者を筆頭にどんどん薄れてきており、イントネーションはそこそこ残るものの単語は標準語に近づいているのが実情です。

県外で就職、結婚している人も、青森に帰省した時に「帰ってきたなー」と思う瞬間は、やはり故郷の言葉を聞いた時だと思います。

そんな中、津軽弁、南部弁ともに方言の魅力を後世に伝えるイベントが、毎年開かれているのをご存知でしょうか?

『津軽弁の日』(10/23)

津軽方言詩集の作者の命日を、賑やかに津軽弁で遊ぼうとイベントが実施されたのが始まりで、30年以上開催されています。

一般の人から募集した、津軽弁による詩・短歌・俳句・川柳・体験記の傑作作品を、津軽弁の達人がユーモアたっぷりに読み上げて会場を沸かせます。

当初は、年に400作品ほどだった応募作品が、なんと2000作品まで増えてしまい、2018年からは募集を止めて過去作品から発表作品を選出しています。

テレビでも毎年放送されるんですが、すごくアットホームな雰囲気で、昔ながらのディープな津軽弁と笑いをたっぷり堪能できるプログラムです!


しっかり津軽弁の意味を解説しながら進行されますので、ぜひ県外の方も参加してみてくださいね!

●青森市文化会館(リンクステーションホール青森)
〒030-0812 青森県青森市堤町1丁目4−1
http://aobunkanko.com/event/

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『はっちがずっぱど南部弁』(12/6:南部弁の日)

若者の間で衰退が著しい南部弁を、後世に伝えたいとの思いから始まり、南部弁を巧みに操る出演者が、懐かしさを感じられる昔話やコントを披露します。


地元のタレントが講師となり、より強い南部弁の講座を行ったり、高校生を交えて世代を超えた南部弁コントも人気コーナーのようです!

南部をより感じたい、という方はぜひこのイベント目掛けて八戸を訪れてみてはいかがでしょうか。

●八戸ポータルミュージアム はっち
〒031-0032 青森県八戸市三日町11−1
https://hacchi.jp/

津軽と南部の気候

ニューヨーク、北京、ローマ、マドリードとほぼ同じ北緯40度付近に位置する青森県。

主に津軽地方の説明になってしまいますが、春(4〜6月)は15〜20℃の過ごしやすい気温が比較的長く続き、なんとなくの梅雨もあります。

夏(7〜9月)は暑い日は35℃まで上がる時もあり、秋(10〜11月)は冬に向けて急激に気温が下がります。

早いと11月中旬に初雪という年も。

12月から本格的な冬が始まり、2月が一年で最も気温も下がります。

天候の悪さを逆手に取った『地吹雪体験ツアー』という観光資源もあるほど、、

このように青森(特に津軽)は1年の変化が大きく、四季の移り変わりを楽しむことができます。

この同じ青森でも、津軽(日本海側)と南部(太平洋側)の境目にある奥羽山脈により、気候にも大きな違いが存在します。

特に大きく異なるのが、夏と冬

津軽の夏は比較的夏らしい日が多いですが、太平洋側の南部は「ヤマセ」と呼ばれる風の影響を受けます。

lこの冷たく湿った偏西風によって、夏なのに気温が低くなる日が多くなります。


冬は特に対照的で、日本海側からの冷たく湿った空気が奥羽山脈にぶつかります。

津軽の冬は大雪になる一方、奥羽山脈でその空気が届かない南部は乾燥した晴天の日が多くなります。

こういった地域ごとの気候の違いから、津軽地方の小学生なら、冬の授業でスキー、南部地方ならスケートを習うという、おもしろい地域差が生まれています。

農業の津軽と漁業の南部

気候の違いに伴い、津軽と南部で盛んな産業も異なります。

冬の大雪が春には雪解け水となり、夏の気温も安定して上がる津軽では、米とりんごを中心に農業が基幹産業になっています。


他にも生産量日本一の長芋、にんにく、ごぼうを筆頭に色々な野菜の栽培も盛んです。

昼夜の気温差で味が良くなるトマト、とうもろこし、レタスなども多く栽培されています。

逆に南部地方は、ヤマセによる冷害で農作物が不作となる年もあります。

一方で、太平洋側では暖流と寒流がぶつかり合うことで、豊富なプランクトンが餌となり優れた漁場となっています。

日本一の水揚げ量を誇るイカと、脂の乗ったサバが特に有名です。

南部地方の北部に位置する下北半島では、驚愕の落札額で毎年正月に話題になる「大間のマグロ」も有名ですよね。

まとめ

津軽と南部の歴史は、戦国時代まで遡り、文化だけでなく、産業や気候まで異なることが分かりましたね。

だいぶ薄れてはきましたが、DNAレベルで、お互いの地域を意識し合う関係がいまだに続いています。

そして、津軽、南部、下北では、土地の特徴や面している海(日本海・陸奥湾・太平洋)を生かした産業が様々存在します。

「津軽と南部」のように、同じ県でもここまではっきりとした多様性を感じられるのは全国でも珍しいと思います!

ぜひ観光や、ワーケーションの候補地(ぜひ移住先候補にも)にしてみてくださいね!